ありがとうを伝えよう


文集の写真



要 旨


   〇 学校支援者にとって“お礼”はいりません。    
   〇 子どもたちの自発的なお礼の言葉は最高のものです。
   〇 学校教育はお礼を伝えるスキルを育ててほしい。  
    〔スキル〕=〔ありがとうを表現する(伝える)方法〕
 


〔「ありがとうを伝えよう」関連ブログ〕


 上にあるようなお礼の文集をよくいただきます。活動の後担当の先生が紙を配付して「お礼の手紙を書きましょう。」と指導されているのだと思います。内容をみると嬉しいことがいっぱい書いてあります。
 実は活動しているときの子どもたちの様子は様々で「しな〜い」「僕はやらないよ!」「きらい」という子どももいるんです。お礼を言いたくて書く子はいいんですが、そうではない子、書くのが苦手な子も確かにいるんです。“学校の指導”とはいえ“書くこと”を強制されている状況です。ひょっとしたら増々嫌いになっていくかもしれません。これが気がかりなところです。

 学校支援の活動で“お礼”は必要かと言われると「必要ではありません。」というのが答えでしょう。何故かというと“当たり前のこと”であるべきだからです。学校での協働活動が多くなってくるとその度に書くのは大変です。そうは言っても子どもたちから「おじちゃん、ありがとう」と言ってもらえると嬉しいものです。「また、ガンバロウ」という気持ちになります。

 どうしてこのように矛盾した気持ちになるのか考えてみました。この“学校支援”という言葉も“学校で地域の皆さんが協働する”ことが“当たり前”でないことを表しています。“支援”は“手伝い”ということだからですね。当たり前になるには時間がかかるということではないでしょうか。学校側は手伝ってもらっているという意識があり、地域の皆さんも意識の高い方々が支援に訪れています。

 解決策ですが、子どもの素直な表現であってほしい。一番嬉しいのはそれが感じられるときです。

  「私はおもちゃ作りが好きです。」
  「今日は何を作るんですか? 楽しみだな〜。」
  「今日は楽しかったです。」
  「・・・・(熱中している様子)・・・・」
  「やらない!」・・・(しばらくたってから)・・・「やってみようかな!」

 このように何気なく声をかけてくれるときに「やって良かったな〜。また頑張ろう。」という気持ちになります。声をかけやすい関係を作ることが大切ですね。怖(こわ)い先生にはならないこと。気づきがあったら支援者からも声をかけること。

 文集づくりは先の懸念もありますから“必要なし”ではないでしょうか。子どもたちが「お礼を言いたいな〜」と思ったときに表現する方法を指導していただければ良いのではないかと思います。このことは“人と人のつながり”という社会人としての基本的なスキルとしても大切なことです。
 次の手紙はそのような指導を受けて書いてもらったものです。もらったとき「ジーン」と心が震えたほど嬉しかった手紙です。


お礼の手紙


 光村図書国語三年年上の教科書〔ありがとうをつたえよう。〕という教材です。


教科書写真

 内容が鮮明ではないので文章を打ち直してみました。どのような授業かご覧ください。


教科書タイプ

 「だれにどんなありがとうをつたえますか。」と先生が言ったとき、1・2年生のときの放課後子ども教室の私を思い出してくれました。そう思うと嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

 このように授業で「ありがとう」を表現する方法を教えてもらうと、子どもの素直な気持ちが表現できます。この経験は「ありがとうを言いたいな〜!」と思ったときに生かされます。


 学校の先生には「支援の皆さんに感謝の気持ちを持ちなさい!」ということは言ってほしくはありません。感謝の気持ちは子どもの個人的な感情ですから指導はいりません。やってほしいのは感謝を現わすスキルの学習です。








inserted by FC2 system